2014/07/30

忘れられない日。



人が命をなくすこと。
毎年この日は同じこと書いてるかもだけど、。
私が、まだ わすれていないということ。
今年も、私のメモとしてのこしておくこと。

昭和42年7月30日 早朝。
父の弟である藤原晃が琵琶湖で亡くなった。心臓マヒで沈んでいった。
26歳ぐらい。
甲子園近くに住んで三和銀行に勤務。独身、婚約手前。

藤原自転車店
朝、お店の電話で話してる祖母のことを覚えてる。
警察?と、普段大声をあげない祖母が大声でいった。
おかげでわたしはその祖母の後ろ姿をとてもよく覚えてる。

とても晴れた夏の日。
あさから、いつものように、拭き掃除をしていた祖母。
1本の電話に 藤原家は グレイの渦がやってきたカンジだった。
私の中には、暗さはひとつもなく、
明るい夏の日に大人たちの忙しい日々がはじまるのをカンジた。

叔父は6月に婚約したいと報告をもって祖父母を訪れている。
そのとき、珍しく私を鳥羽湾クルーズとボーリングに連れて行ってくれた。
船にのって海をながめながら、海はとても奇麗だと叔父が言い、
わたしも海やプールが大好きって、
言葉少ない叔父とそんな話ができたことをとても嬉しくおぼえてる。

7月30日。
ながく覚えていたいと思う。
家の中から、自転車店の店先をとおして外をみると
まぶしい、別世界が 白く ひろがっていた。
そう、いつもの夏の日々とおなじように。
白昼夢の白色と同じなんだろう。

はじめて目にした水死体は 真っ白だった。

ヨシコはお姉ちゃんだからしいちゃんとひろちゃんを
あそんであげて。と大人みんなに言われつづけた あの夏。

たぶん、この夏
それまでおっこちゃんだったのが、
急に長女であるお姉ちゃんになった。

たしか、この年
新学期がはじまった9月、
弱虫になったわたしは登校拒否で2週間小学校を休んだ。

2014/07/11

20140711 夏のにおい ~my flame。

台風が日本を通り過ぎて行った。
今朝、目をさましたら、鳥の声にまじってしっかり蝉の声がしてた。
夏がきたんだなっておもう。

まだ湿気ののこる外、つづく蝉や鳥の声。
部屋の中はエアコンの音。
窓にはブラインドがおろされて、。
いつもの 夏がはじまる。

いつからか、あの 夏の香りをおもいだせなくなっている。
あの 夏の におい。

もうすぐくる花火大会や天王祭。
雨にならないように。


なつかしいね。夏に似合うとおもう。