廃墟のかたまり軍艦島へ。
長崎港発の
上陸ツアーへ参加。
軍艦島:端島 (長崎県)1974年閉山。
見えて来た。
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もうすぐ上陸。
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緑に少しの風がそよぐ。
コンクリートだらけの島も自然に覆われはじめてる。
あの7階のビルは小学校と中学校だったそう。
みんな学校が近かったね。
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こちら、東側と南側に炭鉱関連の施設があった。
約1km掘り下げて、水平に坑道がのびてゆく。
海底炭田へ。
採掘現場は気温30℃、湿度95%ぐらいだとか。
yana君とsubo君なら逃げ出してる。
私なら、、わりとがんばって真っ黒になってる気がする。
夏は海水プール、冬は野球?かな?の跡。
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1916年大正5年ビルド。
日本で最初の鉄筋コンクリート造の集合住宅「30号棟」。
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同潤会アパートより古いのです。
日本海軍の戦艦「土佐」に似ているから「軍艦島」。
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白い灯台は閉山後の設置です。
24時間稼働の炭坑だったためいつも灯がともってたから不要だったとのこと。
端島炭鉱は良質な強粘炭が採れ、
隣接する高島炭鉱とともに、
日本の近代化を支えてきた炭鉱。
人口が最盛期を迎えた
1960年(昭和35年)には5,267人の人口で、
人口密度は83,600 人/km2と世界一。
三菱が所有してた約100年間に
島の面積は埋め立てによって増大し、
近代化をささえる炭坑の島となって、
働きつづけた人々と島。
こうして、今廃墟となって、
沢山の事を、私に教えてくれたり
何かのきっかけをくれる。
端島、はしっこの島。。
人々が本気で生活していた
波の音に囲まれたコンクリートの島。
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島は三菱マテリアルが所有していたが、
2001年(平成13年)、高島町(当時)に無償譲渡され
現在は長崎市の所有である。
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